薬剤師が今求められていること。それは「患者さん目線で最適な解」を考え続けていくこと|薬剤部 高橋部長

2021.6.7

薬剤を専門として長年医療現場に携わってこられた高橋先生。
独立行政法人での就業経験、未曾有の大災害での経験など、数多くの経験を薬剤師の視点から、今薬剤師として求められていることをお聞きしました。

薬剤師が求められること、それは「変化」。

-高橋さんのご経歴について教えてください。

長年、独立行政法人国立病院機構で勤務させて頂きました。
国立病院機構は異動があるため、総合病院、がんセンター、DPC特定病院(旧Ⅱ群)、結核、重症心身障害施設等と多岐に渡りました。
また同時にICT(感染制御)、治験、医療安全、褥瘡等いろいろなチームにも関わることできました。
多職種のたくさんの方々から、ほんとうにさまざまなことを教えて頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
こんな風にインタビューを受けるのも皆さんのおかげと感謝してもしきれないほどです。

-薬剤師の仕事の内容は、変わってきましたか?

現在では薬剤師を病棟で見かけるのは当たり前の時代になりましたが、私が薬剤師になった頃は、薬局に籠って調剤業務に追われる日々でした。
大学付属病院で研修を受けた際によく言われたのは、機械(散薬分包機)を止めるな!ということでした。
それだけ速く粉薬を秤量し撒くというスピードを求められる時代でした。

その後、米国から臨床薬剤師という考えが入ってきて病棟スタッフとコミュニケーションをとったり、患者さんに薬の説明をおこなったりするようになってきました。
当時から、この業務は、今後の薬剤師には絶対に必要と強く考えていました。
患者さんや病棟スタッフから感謝の言葉をもらえることは働くモチベーションにも繋がり、人を成長させますし、病棟に行き少しでも多くの症例を見て考え悩むことはとても重要なことです。

阪神淡路大震災が薬剤師としての価値観を変えた。

-薬剤師の働き方の変化を時代と共に実体験されてきたのですね!

そうですね、振り返ると様々な体験をして来たかと思います。
恵まれていたと思っています。
阪神淡路大震災の時には、医療支援チームとして行かせて頂きました。
人生観が変わる光景でした。私達のチームは、中学校の放送室に宿泊しました。
深夜1時にわずか揺れ、震度1くらいの余震が起きたのですが、その瞬間の校内中に響き渡った悲鳴は、生涯忘れられません。
被災者の方々は、日常、お会いしても明るく振舞ってくれるのですが、心の傷やストレスは、私の想像をはるかに越えていると思いました。

1998年に米国の病院をひとりで見学する機会を頂きました。
日本の国民皆保険は、世界に誇れるもので何としてでも維持していく必要があると思いました。
ただ日本人は、病気に対して無理し過ぎてるため、もう少し病人に配慮しいつでも無理せず休めるような社会を作っていかなければならないとも思いました。
少しずつは進んでいるように思いますが、まだまだ時間はかかりそうですね。

-一緒に働かれていた方々はどのような働き方をされていたのですか?

自分が入職して間もない頃、印象的な光景を見ました。
いつも夜9時過ぎに灯りがつく医長室がありました。
一旦帰宅をして家族と夕食を囲み、その後、病院に戻り仕事をされていたのでしょう。
それからも、このような医師に多く出会いました。自分の基礎を作ってくれた光景ですかね。
また病棟の忘年会等の宴会後、若い医師、研修医は、2次会、3次会へと行くのですが、指導医は、深夜12時頃病院に戻り、朝までに論文を書いて米国に送らなきゃと明るく言われ、日本の医療を支えている使命感に身震いをしました。
皆さんすごく優しい方々で楽しい日々も過ごさせて頂き、今でも困った時に多くの先生が速やかに相談に応じてくれます。

薬剤師が求められる「傾聴」とは。

-まさに寝る間も惜しんで今の日本の医療体制を作ってきた時代だったのですね。他にも何か印象に残った出来事などはありましたか?

そうですね、がんセンター東病院時代、入院患者に薬剤等の説明に伺うのですが、「死」について聞かれたらどのように返答しようと悩んだ時期がありました。
そんな時、精神腫瘍科のカンファレンスに出させてもらえる機会ができました。
精神腫瘍科というのは、がんと精神、心理との相互の影響を扱う学問です。
がんと言われれば、誰でも医師でも落ち込みます。
そんな患者さんやその家族の心理的な治療、ケアをする診療科です。
何度もカンファレンス出させて頂き、今まで知らないことも多くいろいろと学び、安心感が増えました。
カンファレンスで今でも覚えているのは、「患者さんの背景を理解しなさい。幼少時期から家族まで」、「吐かせなさい。泣かせてあげなさい」ですね。
また、沈黙もけして悪いことでなく、無意味でもなく、救いになるということですね。
よく傾聴と言われますが共感するところまでいくといいようです。
患者さんの苦しみを理解しようとする努力そのものが重要と教えられた時には、すーと、気持ちが落ち着きました。

飯田病院の魅力は「変化すること対する柔軟性と許容性」

-高橋さんが飯田病院に入職されたのはどのようなご理由だったんですか?

初めて訪問した時に年月が経っているのに「明るい施設であること」に好感を覚えました。
面接では、理事長をはじめ数名の方々と率直な意見交換をさせて頂き共感することが多々ありました。
そして、「変化すること対する柔軟性、許容性」を感じました。
状況が変わる医療の世界において、現状への課題認識、目的意識を持って自らを変化させていく。
そんな姿勢に惹かれたことを覚えています。
また、花壇には約90種類のバラが植えてあり、春が楽しみだなぁと思った記憶もあります。

-飯田病院に入職して、これまでの病院と違うなと感じる点はありますか?

アットホームな雰囲気ですごく温かみを感じています。
雰囲気というのはものすごく重要で、患者さん、家族の応対にも表れるものと思っておりますので大切なことだと考えています。
診察室や廊下に飾ってある写真やお花も、洗練されていて、心を和ませてくれています。
また、コロナ禍で大きく感じたこともあります。
長期間に渡り全員一丸となって日々感染防止に取り組んでいるスタッフに改めて医療従事者としての強い自覚の表れを感じています。
その結果、幸いなことに今まで感染者は出ていませんね。

薬剤師は変化することが求められている

-薬剤部として今後やっていきたいこと、変えていきたいことはありますか?

組織や個人が成長していく上でモチベーションアップは、必要不可欠なことと思っていますので、それにつながる機会をもっともっと作っていきたいと考えています。
医療従事者である限り、常に情報や視点をアップデートしていかなくてはなりません。
知識を増やし、できる限りひとりひとりの患者さんに最適な医療サービスを提供していけるようにしないといけないと思っています。
個々のスキルが上がると、チームのレベルが上がり、相乗効果もでてきます。
それが結果的には患者さんへ還元される。
そのようなサイクルを作りたいと考えています。

-今後の医療を考える上でどのような価値観が必要になってきますでしょうか?

「経営視点を持つこと」だと思います。
最適な医療サービスを提供し続けていくためには、ある程度の利益を出していかないとよい医療の提供はできないと思っています。
利益を出すことは、いろんな面で患者さんにも還元されますし、医療の進歩、スタッフのモチベーションにも繋がっていきます。
経営視点を持って、絶えず活性化させていくことが重要と思っています。
あとは「患者さん目線で最適な解」を考え続けていくことだと思います。
常にこの患者さんにとって最適なものは何なのか?を突き詰めていく姿勢が大切だと思っています。

-地域医療を掲げる飯田病院ですが、宇都宮ひいては栃木県の皆様にメッセージをお願いします。

どうぞ、何かあれば診察に関わらずいつでも飯田病院の薬局にいらして下さい。
誰もが年齢を経るごとに健康寿命を延ばしたいと強く思っていらっしゃると思います。
今や二人に一人が、がんになる時代です。
もちろん、全てのがんが防げるわけではないですが、禁煙、感染治療(防止)、飲酒控え、食事、運動などでかなり減ることがデータで示されています。
健康面で不安なことはお気軽にご相談ください。
一緒に健康寿命を伸ばすことに頑張っていきましょう

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